『共産党を吾等が排撃する五つの理由』

一、共産党についての無知無識を警む

共産党を吾等が排撃する五つの理由』の第一章、全文(1382字)と要約(138字以下)


共産党についての無知無識を警(いまし)む

昭和三年以来我が国民に異常なる衝激を与え、国民の注意を集中しつつある共産党運動に関する事件は、七月以来、公判に付せられている。すべては判決を待って明瞭となることであるが、この際共産党事件に対し、国民は国民としての厳正なる批評眼を具することが必要である。

しかるに、我が国民の共産党事件に対する様子を見るに、多くは活動写真的事実に対するが如き興味を以てするにすぎずして、真に憂慮すべき怖るべき国家的犯罪であることを知る向は、極めて少数にすぎないのである。而も将来我が日本の運命を負荷すべき青年学生はと見れば、その一部は狂熱的崇拝の態度を持し、多くは今日の社会制度から必然に発生する事件であるとなし、寧ろ消極的に之れを是認し支持する態度を示し、真に国家の為め怖るべく悪むべき犯罪であると見るが如きは、寥々として暁の星より稀であるの実情である。

翻って共産党運動者はと見るに、引続く検挙にも拘らず、労農ロシアの支援を得て社会の各方面にその根を張らんと進出しつつある。我が国民の共産党に対する覚醒程度が前述の如き有様にて、このままに放任されるものとすれば、日本国家の将来は、岌々乎として危い哉と断ぜねばならない。

最近内務当局文部当局は、我が国家に取って有害危険なるこの共産党運動に対して、頻りにこれが取締と善後措置とを講じつつあるが如きも、官私大学には尚相当数のマルクス主義者が蟠踞して、学生を訓化し、学校騒擾、後を絶たず、流行新聞雑誌は、頻りにマルクス主義学者及び文芸家の論説創作を掲載し、マルクス主義運動を宣伝的に報道し、而して共産党的運動に公然たる社会的勢力を与えんと努むるに非ずやと思惟せらるる態度に出でつつあるのである。

殊に一世を指導し、社会の木鐸たるの地位に立つ流行新聞は、徒らに刺戟強き報道によって読者を吸収せんとの営業策から、共産党運動の怖るべき悪むべき危険有害なる国家的犯罪なる所以を説明する事を避け、却ってこれを支援しつつあるの態度を採り、これが為め我が国民の共産党に対する判断を誤らしむること甚大である。かくて一般国民は、共産党運動の害悪を、徹底的に理解し得ないのである。

我が徒の最も危険なりとする所は、寧ろ共産党運動そのものでなく、これに対する国民の無理解無知無識である。共産党運動に対する警戒心の欠如である。この国民の実情を以てすれば、共産党運動は、この虚に乗じてその鋒鋩を逞しうし、遂に我が国家を彼等の陰謀の意の儘に導き国家崩壊の悲運を齎すや必せりと謂わねばならない。我が徒が繰返し共産党の毒悪性を解明せんとするは、この危険を払拭せん微衷に外ならないのである。

然らば、共産党運動は、如何なる点に於て我が国家国民に対して有害であり毒悪であり危険であるか。この点を明確にすれば、共産党運動に対する国民の判断の標準が定まり、また国民は之に対して充分警戒しなければならぬと痛感せざるを得ないのである。その危険有害なる点はどこにあるか。

吾人の見る所によれば、共産党運動の目的及び戦術に於て我が国民にとって有害毒悪なる点が五つある。
(一)国体の変革
(二)経済産業の破壊
(三)国家独立性の剝奪
(四)自国敗北主義の実行
(五)暴動内乱革命戦術
がそれである。今この五項目に就て順次に説明して見よう。

要約

私のコメント:原著が発行されたのは昭和7年(1932年)、今から約90年前です。警戒心の欠如は依然として問題ではありますが、当時と違って今はインターネットがあるので、解決への行動は断然起こし易くなったと思います。

  • すべては判決を待って明瞭となることであるが、この際共産党事件に対し、国民は国民としての厳正なる批評眼を具することが必要である。

    共産党についての無知無識を警む昭和三年以来我が国民に異常なる衝激を与え、国民の注意を集中しつつある共産党運動に関する事件は、七月以来、公判に付せられている。すべては判決を待って明瞭となることであるが、この際共産党事件に対し、国民は国民としての厳正なる批評眼を具することが必要である。しかるに、我が国民の共産党事件に対する様子を見るに、多くは活動写真的事実に対するが如き興味を以てするにすぎずして、真に憂慮すべき怖るべき国家的犯罪であることを知る向は、極めて少数にすぎないのである。

  • しかるに、我が国民の共産党事件に対する様子を見るに、多くは活動写真的事実に対するが如き興味を以てするにすぎずして、真に憂慮すべき怖るべき国家的犯罪であることを知る向は、極めて少数にすぎないのである。

    すべては判決を待って明瞭となることであるが、この際共産党事件に対し、国民は国民としての厳正なる批評眼を具することが必要である。しかるに、我が国民の共産党事件に対する様子を見るに、多くは活動写真的事実に対するが如き興味を以てするにすぎずして、真に憂慮すべき怖るべき国家的犯罪であることを知る向は、極めて少数にすぎないのである。而も将来我が日本の運命を負荷すべき青年学生はと見れば、その一部は狂熱的崇拝の態度を持し、多くは今日の社会制度から必然に発生する事件であるとなし、寧ろ消極的に之れを是認し支持する態度を示し、真に国家の為め怖るべく悪むべき犯罪であると見るが如きは、寥々として暁の星より稀であるの実情である。

  • かくて一般国民は、共産党運動の害悪を、徹底的に理解し得ないのである。

    殊に一世を指導し、社会の木鐸たるの地位に立つ流行新聞は、徒らに刺戟強き報道によって読者を吸収せんとの営業策から、共産党運動の怖るべき悪むべき危険有害なる国家的犯罪なる所以を説明する事を避け、却ってこれを支援しつつあるの態度を採り、これが為め我が国民の共産党に対する判断を誤らしむること甚大である。かくて一般国民は、共産党運動の害悪を、徹底的に理解し得ないのである。我が徒の最も危険なりとする所は、寧ろ共産党運動そのものでなく、これに対する国民の無理解無知無識である。

  • 共産党運動に対する警戒心の欠如である。

    我が徒の最も危険なりとする所は、寧ろ共産党運動そのものでなく、これに対する国民の無理解無知無識である。共産党運動に対する警戒心の欠如である。この国民の実情を以てすれば、共産党運動は、この虚に乗じてその鋒鋩を逞しうし、遂に我が国家を彼等の陰謀の意の儘に導き国家崩壊の悲運を齎すや必せりと謂わねばならない。

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